クリスマスの光と闇

お久しぶりです。1ヶ月くらい更新してなかったかな?全く書く気が起きませんでした。

 

質問箱の方で書け書けと催促がありましたので、書くことにしました。で、例のごとくお題を募集しました。今回のタイトルはお題そのまんま。何もひねるようなことをしませんでした。

 

さて、後2週間程でクリスマスですね。皆さま、色々な思いがあるでしょう。家族や恋人との時間を楽しもうとする人、仲間と楽しく過ごそうと思う人いらっしゃるでしょう。一方、当日はバリバリ働く人、一人寂しくケーキでお祝い(?)する人、色々いらっしゃるでしょう。僕は多分家族と過ごします。クリスマスの時は美味しそうなご馳走が出るので楽しみです。

 

赤ベーコンは恋人がいないから、彼にとってはクリスマスなど「闇」だろうというそこの貴方、僕にとって豪華なご飯が食べられる貴重な機会なので、クリスマスは僕にとって「光」なのです。ただ、黒歴史も一方であるのです。

 

小学生くらいの頃でした。何年生かは忘れましたが。僕の両親が喧嘩をしたのです。両親は喧嘩をすると互いに長い間、口を聞きません。当たり前ですが。その喧嘩をクリスマスの時にそれを迎えてしまったのです。その当時は小学生だったので、両親が喧嘩していると毎日どんよりした感じになるのです。それ以前にも何回か喧嘩していたのですが、中々慣れるようなものじゃありませんでした。その年のクリスマス、父と弟と一緒に当然ですが母親抜きでケンタッキーのフライドチキンを食べました。その時は良かったのですが、父が「フライドチキンの骨使うから。回収。」僕たちが食べたフライドチキンの骨を集めました。父は何に使ったのでしょうか。クリスマスの後と言えば、お正月。そう、父はお雑煮の出汁を取る為にそれを使ったのです。そのため今でも、クリスマスのケンタッキーのCMを観るたびに骨を洗ってざるの中に入れた光景や、その時のどんよりとした空気感を思い出すのです。

 

このように、クリスマスには光のみならず、闇だってありうるのです。「クリスマスといえば、恋人と一緒に」って観念にもまた光と闇が混在しています。恋人がいる人にとっては光ですが、そうでない人には闇でしかありません。

 

大体、そもそもクリスマスってキリストの降誕を祝うやつですし、サンタさんが子供達にプレゼントを配ったりするやつなのだから、恋人がどうとか関係ないじゃないですか。何、しゃしゃり出てんだ、バカップルが。ハロウィンだってそうだ。子供たちのイベントなのに、明らかに子供じゃない図体した馬鹿どもが渋谷で騒いでやがる。いくらトリック・オア・トリートって言ったって、軽トラひっくり返すのは犯罪だろ。結局、企業が金儲けするためにサービスの対象が子供のみならず大人まで伸ばされてるんだ。資本主義が悪い。資本主義が。資本主義が人間の欲を肥大化させるからこんなことになるんだ。何が自由だ。秩序なき自由主義が日本を腐らせる。クソクソ本当にクソ。安倍辞めろ。渋谷じゃなくて、大手町、霞ヶ関をボロボロにしろよ、クソチキンども。

 

と、考えてみると、クリスマスは結局私にとって「闇」のようです。人の幸せが憎い人間にとって、こういうイベントごとは「闇」なのです。

 

終わり