「お兄ちゃんはおしまい!」感想(それなりにネタバレあり)

 敬虔なキモ=オタクなので、SNSで流行っているアニメはなるべく視聴するようにしている。ということで、最近トゥイッターを賑わしているアニメ作品「おにまい」こと「お兄ちゃんはおしまい!」の第一話を観たので、その感想を述べていこう。

 TVアニメ「お兄ちゃんはおしまい!」公式サイト (onimai.jp)

 

 あらすじを書くのは面倒なので、以下の公式ホームページを参照するように。

ストーリー | TVアニメ「お兄ちゃんはおしまい!」公式サイト

 

 「オタクは女の子とイチャイチャしたいのではなく、女の子になりたいのだ。」みたいな言は、社会学者・上野千鶴子によるものであったか。上野千鶴子の思想に与しないことが多いのだが、この言説だけは言い得て妙だなと思う。(発言のソースについては、以下参照。二次ソースだが。)

 

おたく男子のフェミニン化って17年前から言われてるのな

 

 

 以下に書くことは、特に全く実証もされない私個人の偏見である。オタクは言わずとも分かるとおり、社会の底辺である。一人の「男」として、この世のカースト頂点に強く立たなければならないと社会的に要請される存在として生を受けながらも、どうにも上手くいかない。皆から馬鹿にされ、疎まれ、生き続ける。そんな風に生きるなら、男として生まれて来なければ良かった。「男」としてのジェンダー・ロールを降りたい。そんな中、燦然と現れるのが美少女アニメである。「男」という役割から降りて、アニメの女の子のようにキラキラ輝いて生きていきたい。そんな願望がオタク達の心の奥底に眠ってるのではないのかなと思う。

 

 実際に、本作第一話でもそんなような描写がある。(こっから、ネタバレがある。)

 

  女体化した引きこもりの主人公が妹に家から引きずり出され、一緒にランニングするシーンで、体力差から当然のように置いていかれる。その時に、これまでの人生で、優秀な妹にスポーツや勉強どの面を取っても負けており、すっかり「兄」としての威厳は無くなっていたことを回想する。そして、いっそこのまま、ひ弱な女の子のままでいてもいいのではと思うのである。

 

 ということで、本作において、オタクの美少女化願望、引いては「男」というジェンダーロールから逃れたいという根源的な願望が、意図的かはともかく結果的に描かれているなと思われる。

 

 一方で、急に女の子になったことで、自己同一性(アイデンティティ)の喪失もテーマに描かれているとの評をトゥイッターで見た。確かに、第一話の中でも、主人公が「自己同一性の危機だ。」と嘆いたり、本作のOP曲である「アイデン貞貞メルトダウン」はそのタイトルを見れば分かると思うが、自己同一性のことをストレートに述べている。

 

 しかしながら、上述のオタクの美少女化願望に比較すれば、少なくとも第一話において克明には描かれてないのではないかと思う。主人公は、女の子になっても相変わらずニートだった時と同様ゲームに勤しんでたし、自分のカラダにドキドキする、又はカラダの構造の違いに困惑するみたいな描写は確かに自己同一性崩壊の際たるものかもしれないが、TSモノではお決まりの描写なので、やはり本作が克明に自己同一性のことを描いてるという感はない。そもそも、引きこもりの落ちこぼれニートなんて自我、無くなってしまった方がいいと思うので、悩む必要あるなだろうか。まあ、異世界転生もので、自己同一性の話をあまりしないのと一緒なのではないか。