味の多様性

 口を開けば、「多様性、多様性」と五月蠅い現代である。自分のような根暗には、正直、欺瞞にしか思えないワードである。要は、世間の「寛容」の範囲内に収まる平均値からの「逸脱」は認められるものの、依然としてそこにすら入れない異常者は迫害を受け続ける訳である。近年、ダイバーシティの名の下に「オタク」という概念そのものはそれなりに受け入れられつつも、私のようなみてくれのオタクは「チー牛」などと括られ、SNSで容姿を罵られるのが現状である。そんな社会に多様性などと言う資格があるのか。

 

 まあ、そんな愚痴みたいなことが言いたくて目の前のキーボードを叩いている訳ではない。本題に戻ろう。ビールが飲めない若者が多い。急に老害みたいなことを言い出したが、単に「多いな。」というだけである。別に飲めなきゃいけないという訳ではない。自分自身、実際に二十歳になって酒を飲み始めるようになって、「酒と言ったらビール。」とイキって飲んでいた訳であったが、実際は苦くて美味しいと思ったことはなかった。でも、「喉越しはいいんだよな。」と騙し騙しに飲んで数年ほど経って、ようやく好き好んで飲めるようになったのだ。

 

 「ビールが好きだ。」と言うと、冗談なのか本気なのか分からないけど、「大人だね。」と言われる。酒が好き=渋いみたいなイメージで言っているのかもしれないけれど、単に好きなだけなので、そんな風には思わない。ただ、そんな風に言われた時にふと思ったことがある。ビールが飲める、大人になるっていうことは、「味」に寛容になるということ、「味」の多様性を認めるっていうことなのではないか、と。

 

 ビールを騙し騙し飲んでいた時のことを思い出す。「苦くて飲めたもんじゃないが、このどこかに美味さがある筈だ。」と探ることの連続だった。ビール缶を開け、中の液体を口に含み、舌の神経を巡らして、美味さを探す。苦い。どうして350m缶じゃなくて、500m缶を買ってしまったのだろうと後悔する。そんなことの繰り返しだった。で、いつの間にか、この苦みが美味いなどと、その美味さを認めることができるようになっていた。

 

 で、多様性の話に戻る。「多様性」というと、異常者が社会に受け入れられることばかり語られるが、その異常者をどう受け入れるみたいな話をあまり聞かない気がする。こういった時に、ビールが飲めるようになる時みたいに、悪いところの中にも良いところを見つけ出すみたいな試みが必要なのではないだろうか。そう。だから、若者よ。ビールを飲もう。ビールを飲むことで多様性を受け入れよう。

 

 こうやって「ビールを飲めない。」という不寛容を、寛容しない態度によって、カール・ポパーが言ったような「寛容のパラドックス」に陥っていく訳であるが。

 

 

 

性病闘病日誌1

今年11月初頭のある夜のこと。トイレで用を足すと"ボクの先端"に妙な痛みを感じた。少し鋭いが、耐えられないという程ではないが、確かに"そこ"にあると訴えられてるような感じがあった。

 

腕組みをしながら僕は考えた。心当たりはあったのだ。おそらくあの店かもしれない。ただ、そうとも限らないし、様子を見ておこう。その日はそうやり過ごすことにした。


そこから3週間ほどが経った。


痛みは当然ながら続く。どうにも病院に行くのが億劫で恥ずかしいと思って躊躇っていたが、陰キャのくせに性欲が強い僕は、このまま痛みが続いて、性的欲求を解消することに支障が出ることに懸念を抱いていた。


初めて泌尿器科に行った日も、都内をぶらついていた中で、あーだこーだ思いつつも、やっと「とりあえず行ってみるか。」とスマートフォンを取り出して、都内の病院を探して突如行ってみることにしたのだ。


行ってから診察までに時間を要した。患者が多く、予約がいっぱいだそうで、1時間ほど待たされた。その間に尿検査を済ませて、後はkindleで本を読みながら待っていたが、その一方で頭の中で思い巡らすことがあった。


 感染の経緯をどう説明しようと。恥ずかしい。ピンサロでフェラチオされた後に痛むようになりましたと自白するのは。いや、「お店に行って、お口でうつされました。」という感じで、なるべくあっさりと簡潔に説明したい。


そんな風に考えていると、自分の番号がやっと呼ばれる。息をふーっと吐きながら、診察室の扉をノックし、開き、椅子に座る。若めの医師は軽く挨拶を済ませた後、問診票に記載した僕の症状を見て淡々と一言、「性病ですかね。」と。症状に至るまでの経緯を一々説明しなきゃいけないと思っていた僕は、笑顔で頷いた。やっぱり都内の泌尿器科だから、そんな患者が大半で、医師は配慮してるのだろう。これまでの心配が杞憂に過ぎなかったことに、僕はほっとした。

 

 抗生物質が処方された。医師と薬剤師が言うには、副作用として腹が緩くなるとのことであった。処方されてすぐに飲むことにした。


 長時間待たされ昼を食べ損ねて腹を空かせていた僕は、とりあえず腹ごしらえにとつけ麺を食べに行くことにした。半分ほど食べ終えた頃だろうか、急に腸の緊張がとけ、モノが大挙して出口に押し寄せるような感覚が僕を襲った。その出口を僕は最大限強く閉めながら、麺を急いで啜っていく。ただ、中々器は空にならない。脂汗が出てきた。この場で漏らして、周囲に軽蔑の目で見られる情景が僕の頭の中に浮かぶ。こんな緊張感を強いられる食事は人生で初めてだった。何とか食事を終えると、すぐさま僕は手洗い場に駆け込んだ。


 飲んでから数日が経った。こんなに強い効果があるからか、最初に感じた痛みは段々と引いてきた。まあ、あともう少しすれば痛みも無くなるだろう。しかし、この認識が甘かったことを後で思い知らされることになる。

 

続く

 

ガルパンはいいぞ

何年前のネットミームなんだ、これ。本稿のタイトルの話である。ガルパン劇場版をやっていた頃かなと思うので、2015年頃か。自分がキャピキャピの大学一年生の頃である。

 

何でこんなことをブログにしようかと思ったかと言うと、今年でガールズアンドパンツァーというコンテンツは10周年であり、先日ガルパン 博覧会という展示イベントに行ってきたからである。

 

オタクという概念について本ブログで取り上げたことはあったが、特定のアニメコンテンツそのものを取り上げたことは初めてじゃないだろうか。

https://blog.hatena.ne.jp/login?blog=https%253A%252F%252Fakabekonikki.hatenablog.com%252Fentry%252F2018%252F12%252F25%252F114454

 

さて、ガルパンの話をするとか言いながら、まず自分語りから始める。自分がガルパンと出会ったのは、アニメ放送時の2012年の頃であった。当時高校一年生の自分は気◯いみたいにアニメを視聴しており、毎クールごとにうずらインフォ(懐かしい)で放送されるアニメを確認して、家のテレビで録画してリビングで堂々と毎週欠かさずに観るという感じであった。(当然同居の家族から、痛い視線を浴びることとなる。)

 

 ガルパンもその例に漏れず、テレビで録画して見ようとしていた。しかし、何故か知らないが、録画に失敗する。初回が見れないんじゃ...ということで視聴を諦めようとする。しかしながら、これまた◯狂いみたいなミリタリーオタクに強く視聴を勧められて仕方なく観てみることになった。

 

とまあ、こんな経緯で見始めたので、まさかガルパンが10年も続くようなコンテンツになるとは全く思いもしなかった。世間的にも(と言ってもアニメを趣味で視聴する人間から成る社会集団は「世間」と言い得るのか)放送が始まった当初は期待されてなかったであろう。

 

 ここでガルパンの話に戻るのだが、ガルパンのメイン視聴層は20代ないし中年の男性である。そもそも深夜に放送されるアニメコンテンツ自体、視聴層は男性が大半を占めるだろうが、ガルパンは戦車を題材にしているので、特に中年男性が"濃く"なってくる。

 

 実際、これまで劇場版や先日の博覧会来るようなガルパンファンは、ハゲ散らかして眼鏡を掛け黒い服を着ながら妙に薄ら笑いを顔に浮かべる"おじさん"ばかりだ。(将来の僕の姿でもある。)

 

 しかし、意外だったことに僅かながら若い女性の姿も散見された。それどころか子連れのお母さんまでいた。まあ、思えば、ガルパンの内容自体スポ根ものとも言える。まさに「ガールズ」たちが戦車道を通じて成長し、困難を乗り越えていく物語だ。(脚本自体、あの「けいおん 」や「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の吉田玲子さんだ。)

 

 勿論、「パンツァー」(ドイツ語で戦車の意)のアニメなので、戦車のディティールに凝った表現が豊富だ。だから、前述のおじさん達の"男の子心"をくすぐる。

 

 こうも多彩な魅力を持つガルパンはミリタリーアニメ史の中で、燦然と輝く金字塔となった。「ガルパンはいいぞ。」おじさんがSNSでそっと呟くのには、ちゃんと理由がある気がする。

 

終わり

  

 

年末クソ企画ブログ振り返り2020

皆さん、お久しぶりです。

 

べこちゃん、ブログ書いてないけど、生きてます。

 

今年は色々とあったんですけど、大半が仕事関係なので、ブログに書けねえという事柄ばっかでした。

 

てか、休日に書く気力がそもそも起きないので、やっぱり書けない。

 

しかし、何とか、2020年中最後なんか書いておきたいなあと思って、思い出したのが毎年恒例の1年の中で書いたブログ記事を振り返るというやつでした。

 

とりあえず、早速振り返って行きましょう。

 

応援してくださる皆様へ - 『赤べこ日記』

 

たまにやる、声優結婚匂わせネタ。(そんな概念ねえわ。)

 

結婚匂わせのはずなのに、出産したという報告をしているというものである。

 

自分で言うのもなんだが、毎回やることがしょうもない。

 

ところで、2019年4月にはこんな似たような記事をアップしている。

 

ご報告 - 『赤べこ日記』

 

この妊娠報告の記事と先程の出産報告の記事を併せて見ると、2019年4月に妊娠が発覚してちょうど9が月後の2020年1月に出産したという構成になっており、妙にリアリティを醸し出している。

 

これは、べこちゃん自身全く意図したものではない。そんな偶然の産物に、心の底から笑ってしまっていた。僕一人で。

 

もう、日本は終わりだと思う。 - 『赤べこ日記』

 

ノーコメントで。

 

と言いたいところだけれど、何か言おう。

 

...。

 

何を意図したかもほぼ記憶がないけど、なんかTwitterに何かあるたびに現れる意識高い系を揶揄したいみたいのはあったんだろうな...。

 

うん。

 

7日前にイッたウシ・前編(ソープ ・ルポ) - 『赤べこ日記』

 

11日前にイッたウシ(ソープ・ルポ 後編) - 『赤べこ日記』

 

風俗ブログ第二弾。

 

本作で、べこちゃんは千葉大出身風俗ブロガーとしての地位を確立した。(してない)

 

作家ぶって、ややこしい文体で書いてるものの、まとめると、初めてのソープで地雷嬢を引いた話である。

 

我ながら、その場の状況や僕の心情を写実的に描いてるなと思ったけど、鬼滅の刃ネタとかおふざけ本当に必要だったのかな。この点、有識者の議論が求められるところであると思う。

 

地雷を引いてからもう9ヶ月経つわけだが、悲しい思い出として未だに思い起こされる。

 

だけど、ソープとか風俗にまた行きたいという気持ちは失ってない。今度行くときはもっと高いやつ行くぞ。早くコロナ終われ。

 

懸賞論文書いたら、通った話 - 『赤べこ日記』

 

唯一まともな記事。

 

受賞したという事実は、TwitterよりもFacebookでの反響の方が大きかった。

 

この件についてTwitterで呟いたところ、いわゆる法学クラスターの方のフォローが増えたものの、日頃全く法学について呟いてないという始末。ごめんなさい...。

 

送られた賞状はちゃんと飾ってます。

 

賞金で風俗行きたいです。

 

何なんだよ,クソオタクども(チー牛騒動を巡るあれこれ) - 『赤べこ日記』

 

オタクのダブスタにキレて書いた渾身の一作。

 

ただ怒りに任せて書いた。

 

もっとも、感情的になった割には、というか感情的になったからこそ特に何の思い入れもない。

 

 

 

 

とまあ、ざっくり振り返った。

 

来年は、もっとブログ書ければなあって思った。(多分、書かない。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何なんだよ,クソオタクども(チー牛騒動を巡るあれこれ)

またまた、「チー牛」表現がポリコレ的観点から槍玉に挙げられているようである。

 


発端は、セガの取締役がゲーマーに対して「チーズ牛丼食ってそうな顔だな」という発言をしたとか、してないとかで。

 


まあ、それ自体どうでもいいが、それが原因で「チー牛」表現そのものが叩かれているのは、チー牛界の祖たる私として見過ごすことはできないと思った次第である。

 


チーズ牛丼の例の画像が囃し立てられているのを見たとき、私に衝撃が走った。まるで、私をそのまま模写したかのようなその似顔絵が、陰キャラの象徴としてとりあげられていたからである。

 


それ以来、その表現を好んで積極的にツイッター上で用いてきたのは、我がフォロワーが周知する通りである。

 


私のみならずオタクないし陰キャのネットコミュニティでは、好意的ないし積極的にこの表現は用いられていたように思われる。

 


それなのに、突如として、先程示した一事をもって、オタク界隈でも忌避されるべき表現になりつつあるのは、遺憾というか、意味が不明である。

 


本件に「お気持ち表明」しているオタクども、ルッキズムが何だのと、一見「ごもっとも」な主張を展開しているが、つい先日まで「チー牛」だけに飽き足らず、「ポカホンタス女」だの、「ツーブロッックゴリラ」だの、「ウェイ系」だの、個人の特徴的な容姿や性格を一括りにして馬鹿にするのを楽しんでいたのは君たちじゃないか。

 


大体、オタクなんてルッキズムの権化でしかないだろ。君らオタクくんが好きな美少女キャラだって、ルッキズムの成れの果てみたいなもんだろ。声を売りにしているはずの声優だって、その外見を求めているのはオタクくんたちだろ。

 


それなのに、今回それが自分に向けられたと感じると、すぐ様被害者面して、あんなに威勢よく「チー牛、チー牛」言ってたお前らが、「いや、俺はあの表現については、本当は良くないと思ってた。みんな、そういう雰囲気だったから言い出せなかった。」とか去勢された犬みたいになりやがって。ふざけるのも大概にしろよ、クソオタクども、ドツき回すぞ。

 


ルッキズムには、ルッキズムで対抗せい。今回の取締役に対しては、「病気のゴリラみてえな顔だな。」とか言えば、それで済んだだろ。

 


ルッキズムカードバトルの始まりじゃ。

 

懸賞論文書いたら、通った話

Twitterで報告させてもらった通り、みずほ学術振興団の主催する第61回懸賞論文(法律の部)学生の部で3等を頂いた。

 


今年の1月に提出したのだが、それなりに4月から始まった就職先での研修が大変だったので、応募したことをすっかり忘れてしまいそうになっていた。ふと、応募したことを思い出し、「もしかして、結果が来ているのではないのかな。」と思い、実家にいる父親に郵便物が来ていないか確認してもらった。


その後、父からみずほ学術振興団からの封筒が届いている旨連絡があった。その際、何故なのか明白ではないが、私は一人布団の中に入り、漠然と今後の職業人生に絶望的なものを感じており、頭をもやもやとさせている最中であった。そのため、全く科学的・合理的な思考ではないのだが、「論文の方もダメだろうな」と、諦めるような気分でいた。


そんな最中、封筒の中の書類を写した写真が届く。速度制限がかかっており、画像が鮮明に見えるまで大分時間を要した。その間、胸の鼓動は高鳴る。しばらくすると、「入選となりました」の文字が私の瞳に写った。


その時、私の胸に去来した感情は驚きであったと思う。正直、通るなどと思っていなかった。投稿した論文を、提出後に何度も読み直したのだが、その度に、「この日本語表現はおかしい」「この資料から、そのように言い切れるとは限らないのではないのか」などと、自らの論文の瑕疵を見つけ、落ち込むような気分になっていたからである。


その後、次第に自慢したいような気分になり、TwitterなどSNSに結果を投稿したが、特に赤ベーコンのアカウントでツイートしたものが予想以上の反響であった。なんだか、自分の身には余るような賞を頂いてしまったのではないか、恐れ多く感じてしまった。


何はともあれ、嬉しく思った。ただ、単純にそう思ったのでは無い。この論文こそ、私の大学生活5年間の集大成であると思っており、今まで自分自身否定的に感じていた大学生活を何とか少し、許してやれるように思ったのであった。


この懸賞論文に応募しようと思ったきっかけは、大学の同期で、かつては同じゼミに所属し、共に勉強したゴミクルーン君が同懸賞論文に応募し、三等を受賞した旨のツイートを

見たことであった。その時、抱いていたのは嫉妬だとかライバル意識だとかいったものでは、決してなかった。一方、あちらは現役ロースクール生、他方、こちらは就活に失敗して休学中の身分であるしがない法学部生(厳密には、法政経学部生だが。)であり、自分自身は彼と対等にあるとは、まるで思えなかった。唯、爆然と「自分も挑戦してみたい」。そういう風に思ったのであった。しかし、その時、就活再チャレンジ中の身であり、次年度の論文のテーマも発表されていなかったので、もやっとしたその思いは、その時、具現化されることはなかった。

 

論文を一度も書いたことがなかった大学生が専門外の分野の懸賞論文を受賞するまでの話 - ゴミログ


就活を行なっていた時は、自分の大学生活に対して否定的な感情しかなかった。学生時代、一番頑張ってきたことは何かと聞かれた時に答えていたのは、「大学での勉強」と答えていたように思う。しかし、冷静に考えると、自分自身頑張っていたと思い込んでいたのではあるが、客観的に見れば、何かしら実績を残していた訳ではないし、何か具体的な目標に向かっていたわけでもなかった。大学での成績も、単位取得率こそ高いけれでも、GPA自体は高くない。また、周りの同期のように法曹や官僚等になるという崇高な目標を立てて、努力してきた訳でもなかった。他の「普通の学生」と比べても、サークルに入って周囲と協調して何かを成し遂げた訳ではないし、アルバイトに励んで職場で評価されるようなことをした訳でもなかった。第三者の視点から、自らの大学生活は無駄でしかなかったのではないかと思うようになっていた。


しかし、何とか就活を終え(現在所属している機関に拾ってもらったようなものだが。)、いわゆる学生生活最後、いや、「人生最後の夏休み」と呼ばれるやつに突入すると、暫くは怠惰な生活を送る日々が続いていた。2年の就活で失ったものを取り返すかのように、堕落することに没頭していたのだと思う。


とは言っても流石に、1ヶ月ほど経過すると、「何かせねばならないのでないか」という感情が自分の中に芽生える。その際に思い出したのが、懸賞論文であった。すぐさま、振興団のホームページを見ると、複数のテーマで応募を受け付ける旨記載されていた。しかし、それぞれのテーマに専門的な知見を有している訳ではない。どれにするか少し考えた末、出した結論が「土地所有権」であった。現在、社会的な課題の一つとなっている、いわゆる「土地所有者不明問題」に関心があったからである。


しかし、「土地所有者不明問題」と漠然と考えても、様々な課題がありそうであった。登記制度・土地所有権の在り方等に関する研究会が発行した、「登記制度・土地所有権の在り方等に関する研究報告書」という資料を参考に、今現在、具体的に何が問題となっているのか、把握することに努めた。


最初に目を付けたのは、土地所有権の放棄制度であった。そこで、それに関して書かれている論文を探し、一通り目を通した。多くの論文を見つけ、調べるのには苦労しなかったものの、それらの論文によって、放棄制度の法理論的課題はほとんど解消されているように感じられ、自分がこの課題に関して改めて考察する意義を見出すことは出来なかった。


そこで、今度は、土地所有権の「みなし放棄制度」の方に着目した。まず、放棄制度と何が違うのか、説明させてもらうと、「放棄制度」は、所有権者に対して、土地の所有権を自らの意思で放棄することを認め、同所有権を国庫などに帰属させるものであり、他方、「みなし放棄制度」は、所有権者が土地を一定期間放置することを要件に、その土地の所有権が放棄されたと「みなす」ことによって、同所有権を国庫などに帰属させる制度である。要するに、どちらも土地所有権を当人から放棄させることにおいて同一であるが、それが所有権者の自由意思に基づくものか、所有権者の土地の放置という事実に基づくものかで差異がある。そして、本制度は、民法上、所有権が消滅時効にかからないこととの整合性が法理論上課題となる。なぜならば、所有権のみなし放棄制度は、一定期間の占有放棄を要件を所有者から所有権を消失させる効果をもたらすが、それは所有権に消滅時効にかかることと同じであるからだ。そして

、所有権が消滅時効にかからないとされているのは、所有権が永久性という性質を有しているからであるとされる。


「みなし放棄制度」についても、論文は存在したものの、数が少なかった。また、それらはそれぞれ独自の論理展開から所有権の永久性という観念に対して批判を加えることで、みなし放棄制度の理論的課題を解消させるという内容で、説得力はあるのだけれども、どこか自分に「物足りなさ」を感じさせた。次第に、浅学非才の身のくせに生意気ながら、その「物足りなさ」を埋められるようなものを書ければ、面白いのではないかと思うようになった。


それから、「そもそも、なぜ、所有権には永久性なる性質が観念されているのだろう。」と不思議に思い、この永久性の理論的な根拠に関心が向いた。ところが、所有権の永久性について関心を向けた論文など、皆無に等しく、調査は困難を極めた。仕方なく、少し異なる内容であるが、所有権の絶対性に関する論文からヒントを得ようと考えた。複数論文を当たる内に、永久性という概念が初めて所有権の要素として示されたとされる、19世紀ごろのフランスの文献を見つけることができた。何とか、目次の「所有権」の記述から該当する文章を見つけ、1年時に学んだのにも関わらずフランス語の知識は皆無に等しかったので、一言一句意味を調べながら根性で翻訳した。更に、日本における展開も調べるべく、明治以降に作られた、教科書などの概説書を大量に当たっていった。


このように、まさに古今東西、様々な資料に当たって、永久性の理論的根拠を明らかにしつつ、更に、明示的ではないものの、その根拠に対して批判するような内容の論文も引用しながら、永久性という観念は理論的に怪しいものであることを示し、それを論文として提出したのであった。(同学部・同ゼミ出身のゴミクルーン君の論文は、仮想通貨という未来的な問題に対して、現代の法解釈からそれに対する法制度の不備を明らかにしたもので、それと対照的だなと自分自身思っている。)

 

学生生活最後だからと、調子に乗って演習の講義を複数履修したり、経済学コースの副コースを取得しようと、経済学の講義を履修していたりし、論文執筆やそのための調査に充てる時間が限られており、提出はギリギリになったものの、何とか書き終えた。まだ寒い1月中旬ごろに、速達で論文を送ったのはまだ記憶に新しい。


今回、論文を書いてみて、それなりに苦労し、そのおかげで今回の論文は・・・と言いたいところだが、書くのに最も役立ったのは、大学でそれなりに真摯に向き合って学んできたことではないかと思っている。論文を調べると言っても、それなりに法学に対する知識や経験が求められるであろうし、調査の結果出てきた様々な情報を、整理し、一つの論文にまとめあげるのにも、法学を通じて養った論理的思考力のようなものが活かされているのではないかと思っている。


そういう意味で、今回提出した論文は自分にとって、大学5年間(期せずして、4年が5年になってしまったが)の集大成と言っても過言ではないのではないかと思う。5年間の大学生活で積み重ねてきた目に見えない自分だけの財産を使った作品が、第三者の視点から肯定的に評価された、錯覚に過ぎないかもしれないが、そう思うことが出来た。


終わり

11日前にイッたウシ(ソープ・ルポ 後編)

嬢は、湯に自らも浸かっていいのか、僕に尋ねる。

こちらとしては、特に断る理由もない。

「いいですよ。」

僕は答える。

そして、嬢は入る。

当然ながら、その体積によって、僕を覆っていた液体が洪水のように溢れ出る。

お湯は半分くらいになってしまったのでないか。

ところで、このような店では、通常、湯船でのイチャイチャプレイを楽しむのが定石であるのだが、生憎、今これを書いている僕は、この辺りの記憶がまるでぼやけてしまっている。

嬢は恋人のように振舞っていてくれたとも思うし、そうでないとも思う。いや、終始甘えたような感じでいた、あの子のことだ。それなりに、カノジョ役に徹してくれていたのだろう。しかし、そんなことはどうでもいい。問題なのは、僕が全くこの辺りのことを思い出せないことだし、多分、それは僕の印象に全然残らなかったからということである。

そういう訳で、ここでは何の脈絡もなく、「ベット行く?」と囁くような嬢の誘いに僕が乗って、僕らは湯船から上がると描写させてもらう。

相変わらずサービス精神豊富な嬢は僕の身体を拭いてくれる。

ここで普通、献身的な恋人を持つ男のような気分にでもなりそうなものだが、僕はそうじゃなかった。

今後僕が年老いて、仮に老人ホームに入り、入浴介助のサービスを受けるとなった時、もしかしたら、こんなような感じになるのでは、そんなことを考え、何だか、情けない気持ちになってしまった。

ただ、僕のカタナはその思いと裏腹に、依然として屹立していた。

拭き終えると、嬢はまたまた、それをしゃぶり始める。

ダメだ。やっぱり、まったり、もったりだ。

人肌の暖かさと唾液の粘質、この二つが只々、まとわりついている感じがする。

きっと、人間の口の中に含まれるチュッパチャップスって、舐められる度に、毎回こんな感覚を味わってるんだろうな。いや、アレに性感帯がないってのは偏見かもしれないが。

そんなこんなを乗り越えて、本日の頂きに僕はたどり着く。メインディッシュの時間だ。

タオルで覆われたベットの上に、嬢は自らの小さい関取のようなカラダを横たわす。

僕はその上に覆いかぶさるように乗る。

そのあと、どうすればいいのか分からないので、嬢の乳房を揉みしだき、乳首を吸う。

これ、おっパブでやったことあるやつだ。あんまり、新鮮味がない。

ただ、とにかく、雰囲気をエロエロモードにしなくてはならなかった僕は、続ける。

すると、嬢が最初のポジショニングに失敗したのか、「もうちょっと、こっちの方にズレて」と僕に指示を出す。

なんだ、なんだ、八百長か?

そう思ったが、仕方がないので、指示通り動く。

そして、とにかく攻め続けると、僕の頭の中で一筋の稲妻が走り、あることに気がつく。


おかしい。

いくら、乳首を舐められているにしても、この人、喘ぎ声がデカすぎないか?
ネクストコナンズヒント! 嬢の芝居。)

おい、コナン、それって。

ああ、元太。犯人はアイツに違いねえ!

ギィィ!ガシャン!



しかし、武士に二言はない。一度を攻める動作をすれば、それを止めてはならない。

揉み、舐め、吸い、舌で乳首を転がす。

しばらく続けてると、嬢は「する?」と僕に尋ねる。

いよいよか。俺の「喪失」は。

マンコ分け目の戦いが膜を開ける。

とにかく不慣れであったし、僕は騎乗○をセレクトする。

武士らしくそうしたと言いたいが、武士という表現を思いついたのはお家に帰ってからなので、ここでは童貞だったからそうしたと、真実を述べておく。

嬢は僕の上にまたがる。

ぐえっ! お、重い。

そして、嬢は風船をカタナに取り付け、「初めてえ?」と甘々な声で言う。

「はい。」僕は正直に答える。

「いくよ。」嬢がそう言う。

嬢が僕の股の上に座りきると、カタナが温かい狭い空間に入ったのを僕は認識する。

こんな感じなのか〜。

そうやって、率直に感動を覚えた。

しかし、やっぱり、まったり、もったりだ。

(なんだ、こんなもんか。)

次第に、文明開化によって照らされた我が心の灯りは、消えていく。





(やっぱり、重いなぁ。)

まるで、この日のために従事していた肉体労働を想起させる。最初、重たい荷物を持ち上げる際の、一瞬ながら全身に力をこめる感じが延々と続いてるような感じだ。

(それにしても、全然チンコ、気持ちくならないなあ。これは、あれか。実は「前」でも「後ろ」でもなく、第三のアナにでも入っちゃったんだろ。そうだろ。そうだろ。そうなんだろ。なあ、誰か答えてくれよ…。)

しかし、答えくれる者などいるはずがない。

(このまま出ないで、肉体労働し続けるのは、俺も嬢も限界が来るだろうし、一発も出ないってなると、やっぱり、俺も嬢も悲しいだろ。でも、どうする。全然、気持よくない。)

(いや、そもそも、嬢になんとかしてもらおうっていうのが可笑しいんじゃないのか。どうやら、俺が気持ちよくないのは、普段のシコり方にどうやら原因がありそうだし、そうである以上、俺がナントカしなきゃいけないだろう。そうだ、こちらから、歩み寄らなきゃいけないんじゃないのか。)

(さーてと、一発、抜いちゃいますか。)

(※ここら辺から、「鬼滅の刃」のオープニングのサビの部分を脳内再生しておいて下さい。)




股間に神経を研ぎ澄まし、一つ一つの「もったり」した感じを捕らえて貯めていく。

うおー!根性!根性!根性!

とにかく、「出せ!出せ!」と股間に僕は念を送っていく。

力、情熱、念力、なんでもいい。とにかく、気持ちで出せ!

クッ!クソッ!オラッ!

すると、たちまち、カタナに火種が宿る。

そいつを逃すな!

そりゃ!そりゃ!そりゃ!

僕がこんな風に心の中で戦う中、嬢の相変わらずクソデカい喘ぎ声も終始続いている。

僕の心の中の小人たちが声を上げる。

男「うおおおおおおおおおお!」

女「いっけええええええええ!」

老師「来るぞ!」


「イキそう…。」

僕は声を漏らす。

嬢は「いいよ、出して…。」と呼応する。

発射!

で、出た・・・。

ゴムに出ているのを視認する。

その刹那、強烈な虚無感が僕を襲う。心臓の辺りが乾ききったような、そんな感覚だ。
頭もぼんやりとして、重たくなっていく。

いわゆる、賢者タイムだが、これまでに経験したことのない凄まじさだ。

幸運なことに、休憩と相成る。

飲み物を頼めると聞いたので、とにかく、アルコール類を僕は求めた。

しかし、メニューを何度も見ても、その存在はなく、渋々コーヒーを頼む。

嬢が一旦部屋を出ると、僕はベットの上であぐらをかいて、呆然としていた。

え…。何だ、これ。

僕は、ただただ、扉と天井の間を見つめていた。

そして、一言、心の中に浮かび上がる。

待ちに待った運動会の徒競走で、ビリッケツだった少年のように、

「もう、帰りたい…」と。

こうして、人生で最も悲しく、虚しい時間を過ごしていった。

嬢が戻るとアイスコーヒーを差し出す。

とにかく渇ききっていた僕は、一気に飲み干す。

「飲むの早い。」と嬢に笑われるが、僕は全く気にしない。

「マットしていく?」

嬢は、「ご飯、家で食べてく?」みたいなトーンで僕に尋ねる。

本当は、帰りたい。しかし、この人との会話は会話で後がもたないだろうからなあ…。

「はい。」

僕は答える。

「ちょっと、準備するから待ってて。」

嬢はシャワーの方に向かう。

(ここで、またまた不自然ではございますが、マットプレイまでの流れを忘れてしまったので、ここから急にマットプレイになります。)

嬢は体を密着させて、全身を洗ってくれる。

彼女はふくよかなカラダであるから、感覚は確かに気持ちがいい。しかし、錆びついてしまった僕の心にはまるでそれは響かなかった。

うおー。帰りてえ。こんな思いに僕は満たされていた。

仰向けになると、また、シゴきが始まる。こっつあんです。

ただ、やっぱり、まだまだ、もったりしている。

嬢は手で扱きつつ、僕の体全身を舌で刺激してくれる。

しかし、これもあんまりだ。

うーん、強いていうなら、乳首かなあ。

そんな風に思ったので、

嬢が「どこが気持ちいい?」と聞くと、

「ち、乳首…」と僕は、さも感じているかのような声を出して答える。

その要望に答えて、嬢は舌で乳首を刺激しながら、僕の竿を扱いてくれる。

(あー、これなら、なんとかイケそう。一発だせばいいのかもしれないけど、「氣持ちいい、氣持ちいい」って連呼してんなら、二発ぐらい出せねえと、発言の整合性とれねえよな。やっぱ、嬢もこんなに必死になってやってくれてるわけだしさ。)

そう思った僕は再び気合いを入れる。
(※ここは、鬼滅の刃の曲、いらないです。)

まず、勃ちつつも、何だかフニャっとした、僕のチンコに対して呼びかける。

「おい、起て!起て!起てって言ってるだろ、ここで、諦めんのか?諦めんのかお前は?」

運動部の熱血顧問のように激を入れる。

すると、四分の三勃ちくらいだった僕のチンポが、五分の四勃ちくらいになる。

これだったら、後は乳首の刺激との合算でなんとかイケそう。

ここでスパートをかける。

うおー!いけいけ!

とにかく、チンコに呼びかける。

チンコもそれに答えたようで、なんとか装填は完了したようである。

いつでも、出していいぞ!指揮官として、僕は命ずる。

僕のチンコ「装填完了!エネルギーチャージ!10秒前!10、9、8、7、6、5、4、3、2、1。発射!」

「で、出る…。」

射精の時に発する僕のセリフは変わらない。

ビュルル

大分薄まったブツが僕の腹の上に着地したのを目撃した。

出しきると、僕の体の清掃が始まる。

嬢が洗い終えると、再び僕はお湯の中に入る。

しばらく、その場で嬢と雑談する。

最近のコロナウイルスによる経済への影響についてだった。

賢者タイムの僕にはぴったりな話題だ。

その後は、色々と話したと思うが、あんまり覚えてないし、他愛のない話だったと思うので、内容は割愛させていただく。

嬢に促されて、服を着終えた。

ただ、どういうシステムか、受付の許可がないと出られないらしい。

少し、その場で待機する時間が生まれた。

その時も、やっぱり、一刻も早くこの場から出て行きたい気持ちでいっぱいだった。

ようやく、大丈夫なのか、嬢が部屋の扉を開ける。

来た道のりを戻っていく。

二階に降りると、ボーイの方に「お連れの方をここで、お待ちしますか?」と丁寧に尋ねられたが、

この建物が早く去りたいという気持ちから、「外で待ちます。」と答えた。

2階から降りる際にも、嬢は丁寧に手を降ってくれていた。

さっさと帰りたい僕は、うっとおしさを感じたものの、プレイが終わった際には「満足しました。また、来ます。」と思ってもないような嘘をついてしまったので、嬢が消えるまでこちらも手を振り返した。

「店」の外へ出る。

あー。帰ってこれた。良かった。

とにかく、酒を浴びねば。

そう思い、近くを見渡して、コンビニを見つける。

そこで、ロング缶のサワーを買って、再び「店」の前に戻る。

その時には、友人はもう「店」を出ていた。

駆け寄って、何か言おうとするも、全く言葉が出てこなかった。

複雑な思いが、僕の心の中を駆け巡っていた。それを一つ、一つ整理して伝えるのは非常に困難だった。

「店」の辺りでラーメンを食べたりしたが、その時も賢者タイムの作用か、ボーッとしてしまっていた。

帰りの電車の中でも、上の空であった。ただひたすらとボーッとしていた。

その時に、友人たちと、この後酒を飲むか飲まないかという話をしていた。

何か、彼らに思いを伝えないとならないと直感した僕は、酒を飲みたいと申し出た。

酒をそこそこ飲んでおり尿意をもよおしてたため電車を早く降りたかったし、また、なんとなくアキバの景観をみたいと思った僕は、秋葉原駅で降りることを提案した。


駅で降り、用を済ませて、改札を通ると、いつも見たような光景が広かっていた。

思えば、中学生くらいからここに来て、変なことをしていた。

今では、ただ部屋の面積を取るだけの存在になってしまったオタクグッズをよく、この街で購入していたのである。

そんな思い出もあったので、一種のノスタルジーを感じた。

きっと、ここに来たいと思ったのは、傷ついた心を誤魔化すためだったのだろう。

早速、コンビニにまた行って、何かに取り憑かれたかのように酒を求める。今度は500ミリのロング缶だ。今思えば、酒で心の中の何かしらを洗い流したかったのかもしれない。

UDXの前で、酒を飲み、友と言葉を交わすことで、自分の今日の気持ちというのを、なんとか言語化することが出来た。

嬢がパネマジだったことがダメだったのでないかと友人が指摘したが、そうではない気がした。

僕が求めていたのは、性的な快楽などではなかったということだ。

では、僕が本当に心の奥底で欲しがっていたのは何だったのだろう。

その答えは、「愛」のようなものなのではないか。

アルコールに溺れた僕の脳みそは、ありきたりと言えばありきたりな、しかし、やっぱり、的を得ているような答えをはじき出した。

この答えを僕の脳内で言葉にした途端、僕は荒れ狂う。

どうして、今まで恋人を作るような行動をしてこなかったのか、その後悔の念で頭の中がいっぱいになる。

畜生!畜生!畜生!

絶望の闇に僕の心は覆われていく。

僕が求めていいたものが愛だとすれば、このまま僕は一生恋人なぞできないかもしれない。であれば、ソープに行く時の僕のあの気持ちはどうなる、あの望みはどうなる。

僕が強く求めたとしても、一生、手に入らないかもしれない。

そんな風に思ったのだ。

そう思った途端、金曜日の夜の秋葉原でちらほら見られた交際を楽しむ男女を目撃する度に僕はむしゃくしゃしていた。

僕が手に入らないものを、易易と見せつけるな!

僕が普段生きていてあまり感じることのなかった、嫉妬という感情だ。

紫色の禍々しい炎が僕の胸の中で終始、燃え滾っていた。



その後は、秋葉原駅で友人と他愛もない、くだらない話をしてから、電車に乗り、地元の最寄り駅についた途端、ベロベロであったのにも関わらず、「まだ、足らん」と、コンビニに寄って、おでんとアテにワンカップを飲んでいたことを記憶している。

あの時に導き出した、僕が求めてみたのは「愛」なのだという答えは正しいのか、今この文章を書いている僕には、未だに合っているかは解らない。

もしかしたら、いつもしているオナニーが激しすぎて、ソープで感じた性的快感が想像よりも下回っており、不満だっただけかもしれないし、もっと綺麗なソープ嬢であれば良かったのかもしれない。

ただ、何か今は別に答えを出す必要はないのではないか、なんとなくそう思う。

最後に、こんな結果に終わってしまったが、僕は今回ソープに行ったことを全く後悔はしていないということを述べて終わりにしたい。

終わり